聖書のみことば in Mom's Life

慌ただしい子育てライフの中に見つかる神様の恵みをつづる。

夫の弱さに不安になるとき 〜アブラムとサライの話から〜

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「また、こたつ付けっぱなしで寝てる」
「ちゃんと電気消してから寝てね、って言ったのに、いつも忘れる、、、」

 


一緒に生活していると夫の弱さや欠点ばかりが目につくようになる

 

夫の良さ、強みもたくさんあるのに、
気づくと、欠点ばかりが大きく見えてしまう

 

日常生活の小さな事から、性格や仕事のこと、大きな影響のあることまで。
妻だからこそ見える夫の足りない部分がある
それを思うと
これから将来大丈夫だろうか
と不安になってしまうこともある

 

 


そんな時に創世記12章に
妻としての視点で、
とても興味深いことが書いてあったので書き留めておきたい。

 

 

創世記12章で出てくるのは、
神様からの大きな祝福の約束を受け取り、
信仰の父と呼ばれるアブラハム
聖書の中でも大事な役割をもち、後世にも語り継げられるような重要な人物だが、

 

しかし

 

欠けのある夫で、不安に駆られて間違った行動をしたことがあったようだ

 

アブラハムは、神様から与えられた名前だけど、
その前はアブラムという名前だった。

 

この話は、まだアブラムの時の話。

 

 


"さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。
この地のききんは激しかったからである。
彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。
「聞いておくれ。
あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。
エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、
あなたは生かしておくだろう。
どうか、私の妹だと言ってくれ。
そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、
あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」

アブラムがエジプトに入って行くと、
エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。
パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、
彼女はパロの宮廷に召し入れられた。
パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、
それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。


しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。

そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。
「あなたは私にいったい何ということをしたのか。
なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。
なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。
だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。
しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」
パロはアブラムについて部下に命じた。
彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。"

 

創世記 12章10~20節

 

 

つまり、簡単に言うとこんな話だ。

 

アブラムがエジプトに行った時に、
妻のサライは、自分の妹だと言い、妻だということを隠した。
それはサライが美しいから、夫だと言ったら殺されてしまうが、妹だと言ったら自分によくしてくるだろうと思ったからだ。


実はサライはアブラムの腹違いの子なので、半分は本当なのだが、
しかし、妻だということを隠したことは正当化できない。

 

その後に、サライはエジプトの王、パロに召し入れられ、アブラムは多くの物や動物、奴隷をもらった。


しかし、神様がパロとその家に災害を送り、
パロに嘘がバレて
サライとアブラムはエジプトを去った。

 

 

 


この話から、
完璧ではない夫を持つ、妻への励ましを3つ見ることができる。


1、【究極的には神様が守ってくださる】

 

後に、信仰の父とも呼ばれるアブラムでさえ、完璧ではない、弱さを持った夫だった。
自分自身を守ることを優先して、サライを守ることを怠った。

 

サライの立場になって考えてみる。
自分の夫が、外国の地に行った時に妻であることを隠す。

それだけでも妻にとっては傷つくこと。


王に召し入れられることになっても、止めようとはせず、
その見返りを受け取り、
ただ王宮へ連れて行かれるのを何も言わずに見送る自分の夫。


どんな思いだっただろうか。


夫のためだ、と思いながらも傷つき、悲しみ、
見捨てられ、売られる、そんな苦しい心境だったかもしれない。
もしくは、怒り、憎しみ、憤りも胸の内にあったかもしれない。

 


しかし、
夫でさえも守ってくれなかったその時に、
神様がその妻を守ってくれた。

 

夫がなすべき義務を果たさなかった時にでも、
神様はその妻を守ってくれた。

 

夫の弱さのために、自分が危険にさらされる時に、
神様はその妻を守ってくれた。

 


同じように、
イエス・キリストを信じる人には、
究極的には、神様が必ず守り、救ってくださる。

 

 

 

2、【約束に忠実な神様】

なぜ、アブラムとサライに、神様はこんなによくして下さるのだろうか。

それは神様が、アブラムにすでに約束してくださっていたから。

 

 

"主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」"

 

創世記 12章1~3節

 

 

神様ご自身が、アブラムを祝福するという約束をされた。
嘘をつかない、いつも変わらない神様は、その約束にも忠実。


その約束のゆえに、
アブラムが正しい行いをしている時も、正しい行いができずに愚かな選択をした時でさえも、
どちらの時も神様は祝福される。

 

この時も、多くの良い物、家畜、奴隷をもらってエジプトを出た。
正しいことができなくても、神様の約束ゆえに、祝福を受け取れたのは、
神様ご自身が約束に忠実だから。
どれだけ彼がいい事をしたから、という根拠からではない。

 

 

そしてその神様は私たちへの約束、聖書に書かれている全ての約束にも、
変わることなく忠実でいて下さる。

 

 


3、【アブラハム(アブラム)を通して与えられる私たちへの約束】

 

アブラムは、後にアブラハムという名前を神様から頂く。

アブラハムの子孫を通して、イエス・キリストが生まれ、
キリストを信じる人は、神様の子として、神の家族に受け入れられ、
アブラハムの受け取った同じ約束が、信じる人へ同じように適応される。

 

 

 

 

 

 

夫に大きな希望を置いて生きるのではなく、
エス様の内にこそ揺るがない希望が見出せる。

 


その希望を胸に生きるとき、
神様の働きにより

自分が変えられて、
夫に対する態度が変えられるのだろう。