聖書のみことば in Mom's Life

慌ただしい子育てライフの中に見つかる神様の恵みをつづる。

怒りの裏にある思い

f:id:karashidane:20201117231956j:image

 

娘の癇癪(かんしゃく)がひどく

 


癇癪の度に

 


うんざりする

 

 

 

 


「またか、

また同じことで怒ってる

もう本当に嫌になっちゃう

 


もうお手上げ」

 

 

 

 


そんな気持ちになる

 

 

 

それと同時に

感情が爆発している娘に

 


怒りを感じる。

 

 

 

 


娘には娘の課題があるが

 


それは置いておいて、

 

 

 

 


私の心の問題に注目してみる。

 

 

 

 

 

 

娘の癇癪という状況に対して

 


怒りという反応が私の内にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ怒るのか。

 


怒りの裏、奥にある隠れている思いは何か。

 

 

 

 

 

 

 


私の思ったようにいかないもどかしさ。

 


料理、下の子供達のニーズに答えるなど、

他にやることがあるのに、思い通りに進められない、

タスク重視な思い。

 

 

 

 


家事や料理などのタスクを希望の時間内に終わらせることが

目の前にいる娘を愛することより大事になっている。

 

 

 

 


私の心の中で、

タスクを終わらせることが、

何より最優先になっている

 

 

 

 

 

 

それを

偶像礼拝という。

 

 

 

 

 

 

偶像礼拝とは、

本当の神様以外のものや事柄を

神様より

大事にすること。

 

 

 

私の怒りの裏には偶像礼拝が隠れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


さて

 


私達が怒りを覚えるときに

怒りの裏には

どんな思いが隠れているのだろうか。

 

 

 

 


傷ついた思い

悲しさ

落胆

寂しさ

神様よりも他のものを大事にしてしまう偶像礼拝

 


 

 

 

 

子育てを通して

難しい状況を通して

 

 

 

神様は、

隠れた思いをあらわにしてくださる

自分の汚れた思いを明らかにされる。

 

 

 

 


その自分の醜い部分を直視するには

エス様が必要。

 

 

 

 


自分では本当の意味で

自分自身をかえることができないから。

 

 

 

 

 

 

エス様だけが

その醜い部分の身代わりになって下さり

変える力を持っておられるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは

神様の御前で

自分では自分自身を変えられないことを認めよう。

 

 

 

 

 

 

"こういうわけで、今は、

キリスト・イエスにある者が

罪に定められることは決してありません。

 


なぜなら、

キリスト・イエスにある、

いのちの御霊の原理が、

罪と死の原理から、あなたを解放したからです。"

 


ローマ人への手紙 8章1~2節